社会問題という問題は永遠に解決できない
ご無沙汰ぶりの投稿です。身の回りで環境に関する話題が盛り上がり、とある点が気になってしまいプログに上げることにしました。
環境問題、介護問題、教育問題、貧困問題、エネルギー問題などなど、私たちの周りには、たくさんの「社会問題」があります。「社会」とは人の集まりを指しますので、社会問題とは人の集まりによって生じる問題と言えます。1人なら問題じゃないけど、人が集まると問題になるってことですね。言い換えれば、これは人によって生み出される問題ということです。誰かが、環境を悪くすると他のだれかが被害を被る、というもの。どの社会問題も同じです。昭和の時代を生きた人は分かると思いますが、「他人様に迷惑を掛けない生き方をしなさい」とはよく言われたものです。
しかし、問題を社会問題って言っている以上、私は永遠に解決できないと思っています。なぜなら、被害者を特定できないためです。環境問題も介護問題も、どの社会問題も、被害者を特定していませんよね。まあ、だから「社会問題」って呼ぶんです。もしも、被害者が特定している場合は、もう社会問題じゃなくて、ある特定の〇〇問題ってことになります。例えば、「××さん家の煙がうちのベランダの洗濯物を汚す」こうなると社会問題じゃなくて、××さんとウチの洗濯物問題になります。介護問題の被害者は被介護人ですか、それとも費用負担者ですか?教育問題の被害者は子供ですか、親ですか、教師ですか?貧困問題の被害者は絶対的貧困者ですか、相対的貧困者ですか?エネルギー問題の被害者は、需要者ですか、供給者ですか?なーんとなくメディアでも社会問題を取り上げているけど、被害者を特定ぜすして問題解決はあり得ません。そういう意味で、「社会」問題は被害者を特定しない言葉ですので、これは永遠に解決しないと申し上げています。
社会問題を解決するのは(←ちょっと逆説的な表現ですが)、問題を社会化するのではなく、個別の問題としてまずは解決し、それを共有して標準化することだと思います。洗濯物問題をコノヨウニ解決して、その方法を地域で標準化し、普及させることです。これで少なくともこの地域で洗濯物問題は起こらなくなります。介護問題も被介護人の人権をコノヨウニ守ることを決めて、それを地域の介護施設の標準にすることです。もちろん、介護にかかわる問題は他にも山ほどあるでしょうから、その1つずつを1つ図と解決していくほかありません。
私は「社会問題」という言葉が嫌いです。どこか他人任せな感じがしますし、問題を掘り下げることなく社会問題という言葉のレベルに留めてしまう、そんな感じがして嫌いです。最近、若者が社会問題に関心を持ったり、社会問題を解決するベンチャー企業が出て期待していますが、彼らには問題の本質や構造をもっと理解してほしいと願っています。決して、バズワードで留めることなく、ぜひ問題を体験してほしいと願っています。
みなさん、機会があれば「社会問題って、具体的にどんな問題なの?誰が被害者なの?」って自問してみてください。私は、そうした社会が来るといいなと思っています。